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アートジムミニエッセイ「ChatGPT」の話
生成AIがニュースや本になり始めたころは、何かものすごく便利で賢い代物の出現に、いよいよ愚鈍な人材は世の中から振り落とされていくのかな、と漠然とした不安を感じた。もし何とかしがみついていたとしても、ヤツを使いこなせなければ、いずれ結果は同じであろう。 そんな畏怖と憧憬を感じながらも、無知の億劫で実際にchatGPTを活用しようともしなかったところに、登山計画をたてる面倒がふってきた。これにはいつも悩まされていたのだ。よく知られた山ならば、親切な登山愛好家がネット上に公開してくれた登山記録を参考にできる。ところがちょっとマイナーな山を独自の周回ルートで歩こうとして、しかもややシーズンオフだったりすると、活用できる情報がとたんに制限されてしまう。 公共の交通機関で回るから、時刻表のチェックは生命線。1時間に1本あるかないかのバスの時刻を、日帰り温泉に入る時間を勘案しながら前日の晩にしつこくシミュレーションし続け、翌朝結局大寝坊したこともある。この計画をchatGPTにさせたのだ。既に活用している方ならお分かりの通り、その賢さは感動レベルで、ただ「
artgym
10月24日


アートジムミニエッセイ「お堀と柳」の話
薄暮の頃に退勤すると、真っ直ぐ帰宅したくない気分になるのは、特に秋には顕著である。だからと言って、ちょうど良いイベントや予定が急に現出するわけでもないから、たいていはおとなしく帰路につく。それが、涼風にどうにも諦め切れなくて、そうだ、せめてウォーキングがてら帰ろう!と決める...
artgym
10月3日


アートジムミニエッセイ「建物」の話
都内に住んでいるが、近所の建物がまた一つ解体された。 それほど大きくない敷地に、近頃よく見かける、すっきりと無駄のない清潔感あるモダンなビルが、あっという間に出来上がった。合理性と、適度な美しさを備えた最新デザインということなのであろう。これも令和一桁年代の建物の型の一つとして、今を生きる人の記憶に残るのだろうなと、足を止めて斜めに見上げた。 解体された建物は、「昭和」そのものであった。 幼少時代、公園の帰り道に見た遠い記憶の中にあるような、あるいは自室の整理整頓をしていて不意に見つけた昔の写真に写り込んでいるような、そんな古い建物。玄関ドアは低くて不用心なくらい薄っぺらく、軒下や階段周りもスペースに余裕がない。その窮屈さがどこかいじらしくて、日本人の栄養状態がまだ良くなくて、今より平均身長が低かったのかなとか、たとえ狭くても引き戸の門は家の大切な要素だったのかなとか、当時の生活や、知りもしない住人に思いを巡らす。 ビルの隙間から数棟の高層マンションが見えて、さらに向こうの区民センターは建て替わって間もない。どれもみな隙が無くすました雰囲
artgym
8月15日


アートジムミニエッセイ「夏の話」
日本は 温暖湿潤気候 に分類されると地理で習ったのは遠い過去であるが、その語感が届ける柔らかで瑞々しい気候が、特に今年の夏は、日本からもはや消滅してしまったかのような気分にさせられます。 クーラーをつけなければ酷暑で命が危うい予感さえし、外出は時間帯に注意して紫外線・熱中症...
artgym
7月30日
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