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アートジムミニエッセイ「ChatGPT」の話

  • artgym
  • 2 日前
  • 読了時間: 2分
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生成AIがニュースや本になり始めたころは、何かものすごく便利で賢い代物の出現に、いよいよ愚鈍な人材は世の中から振り落とされていくのかな、と漠然とした不安を感じた。もし何とかしがみついていたとしても、ヤツを使いこなせなければ、いずれ結果は同じであろう。


そんな畏怖と憧憬を感じながらも、無知の億劫で実際にchatGPTを活用しようともしなかったところに、登山計画をたてる面倒がふってきた。これにはいつも悩まされていたのだ。よく知られた山ならば、親切な登山愛好家がネット上に公開してくれた登山記録を参考にできる。ところがちょっとマイナーな山を独自の周回ルートで歩こうとして、しかもややシーズンオフだったりすると、活用できる情報がとたんに制限されてしまう。


  公共の交通機関で回るから、時刻表のチェックは生命線。1時間に1本あるかないかのバスの時刻を、日帰り温泉に入る時間を勘案しながら前日の晩にしつこくシミュレーションし続け、翌朝結局大寝坊したこともある。この計画をchatGPTにさせたのだ。既に活用している方ならお分かりの通り、その賢さは感動レベルで、ただ「登山計画、日帰り」と指示しただけなのに、こちらの好みまでも軽快なやりとりで引き出して、最終的には満足度の非常に高い計画書を作り上げた。もちろん公式サイトで確認したバス運行時刻も反映させて。


  さてこれが仕事の場面で広く活用されるとなると、仕事ができる・できないは、どのように峻別されるのだろうか。もはやchatスキルの高い人こそ仕事のできる人である。AIとのコミュ訓練のおかげで、対人コミュ能力までも上がり、職場の雰囲気が良くなり、chatGPTはさらに能力を上げ、会社は売上を上げ続けるかもしれない。就活で苦労している、性格だけはとても良い我が息子に、ついにフォアの風が吹いてきたと信じたい。

(教務/watanabe)

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